#18 出る杭は打たれる、人はそもそも杭でしょうか?
- ももたろうライダー [Noby]
- 2020年8月6日
- 読了時間: 4分
こんにちは。
ももたろうライダー、Nobyがお届けするNoby's Diary。
いつもご覧いただきまして、ありがとうございます。
昨夜はブログを始めてから、
初めてブログ投稿をお休みしました。
忸怩たる思い、
連日投稿、xx日をひっそりと約束した自分への裏切り。
その理由は、
別ブログで公開します。
昨日、嬉しい出来事がありました。
Twitterの大先輩、ウエハース@兼業ブロガー さんから、
アクティブTwitterユーザーとして取り上げていただきました。
もう、、、、、
本当に嬉しいです。。。。。
誰も見てなくてもいいんだ、
一人で続けることがいいんだ、
誰も見てなくったっていいんだ、
やっぱり誰か見てくれたらいいな、
この絶妙な気持ちを汲んでくださった、ウエハースさん、ありがとうございます!
それでは、今日のブログ、始めましょう。
【出る杭は打たれる、出過ぎた杭なら打たれない?】
【出る杭?あれっ? いつから自らのことを”杭”と擬人化したの?】
Twitterから流入の皆さん、
ブログ、プログラミング、Youtube、
各々のプラットフォームで少しでもバズりたい、
そうして毎日、“積み上げ”に挑戦していらっしゃいます、よね?
頭ひとつ、頭半分だけでも、
この中から抜きんでたい、バズりたい、ですよね。
この業界は、
成功に近づくものが、
さらに成功の確率を上げる、
そのような世界かもしれませんね。
また一方で、
リアルの世界では、
まだ足の引っ張り合い、
いまだに出る杭の叩き合い、
そう感じてしまうことがあります。
”出る杭は打たれる”
このブログを見る方の多くは、
こんな夢のない言葉、認めないかもしれません。
”出過ぎた杭なら打たれない”
打たれなくなった杭は、本当に幸せでしょうか?
「出る杭は打たれる」※コトバンクより
1 才能・手腕があってぬきんでている人は、とかく人から憎まれる。
2 さし出たことをする者は、人から非難され、制裁を受ける。
“出る杭”
人を杭に例える、
ちょっと違和感、ありませんか?
「出る」、
「杭」、
「打たれる」、
を、今日は私なりに解説してみます。
さぁ、行きますよー。
「出る」;
出る = 出過ぎたマネはするなよ
人々から頭ひとつ抜けているような、
人からマイナスの印象を受けるような。
Q. なぜ、杭は”出る”と表現されたのでしょうか?
「杭」;
土からなる場所に打ち込む木材、
土に打ち込まれていることで機能する、
打ち込まれた木材は継時的に抜け易くなる、
抜けてしまった木材、杭はその機能を果たさない。
Q. 杭は、土に刺さっていてこそ、その機能を果たしますよね?
「打たれる」;
打たれる = 懲罰、罰則
悪いことをしたことの因果、
打つ、これは物理的に上方からの行為、
足を引っ張るような下方からの行為ではない、
Q. なぜ杭は、上方から打たれることになったのか?
ようやく、、、今日のポイントです。
(結論から言え! そうですね、すみません。)
人はなぜ、
「自分を”杭”に投影するのか?」
「“杭”を擬人化しようとするのか?」
叩かれた、
足を引っ張られた、
そう感じる人の解釈力不全、です。
叩かれた、足を引っ張られた、
本当に、そう言い切れるでしょうか?
そう言い切るがために、失った解釈はありませんか?
なぜなら、
杭は人ではない。
杭を杭として、この文脈を理解します。
杭は、土に打ち込まれています。
打ち込まれた杭は土の中でしっかりと保持されます。
保持されていることで杭は杭としての役目を果たせます。
杭は、土に打ち込まれているだけです。
時間が経つごとに、杭は土から浮き上がってきます。
土から浮き上がった杭は、もはや杭の役目を果たせません。
そこで、人が登場します。
杭(モノ)を打つのは人(わたしたち)です。
土から浮き出た杭(=出る杭)は、
機能を取り戻すために頭から打ち込まれます(打たれる)。
これが「出る杭が打たれる」の真の文脈です。
時間が経って機能を失いかけた杭に、
再び機能するために人間が杭の頭を打ち込む。
皆さん、機能を失いかけた杭、を
再度機能させるために、杭を打ちます。
この文脈には、
人間から“杭”への嫉妬ややっかみはありません。
人間から杭への注目、そして優しさ、すら感じます。
さて、
“杭”を自分に見立てて、擬人化したあなた。
本当に打たれたことをネガティブに捉えますか?
土から浮き上がった杭を打たないで放置したら、
その後に杭はどうなるでしょうか?
きっと杭の役目を果たせず、
土に横たわるだけ、でしょう。
杭を人間に例えてしまったあなた、
出た後に打たれなかったために、
杭としての役目も果たせず、
ただ一本の木材として、
土の上に横たわる、
意味ない存在、
杭でもない、
ただの木、
、、、
「出る杭は打たれる」
時間の経過とともに役目を果たせなくなった、
再び役目を果たせるようになるために、
カーツっ!と和尚が入れるように、
再び、役目を果たす人になる、
「出る杭は打たれる」
嫉妬や妬みからくる足の引っ張り合い、は当てはまりません。
有頂天や調子に乗った杭に刺激を与える愛ある指摘。
それが「出る杭を打つ」という喝。
「出る杭、打たれているうちが花。」
「あなたは、決して杭などではない、一人の尊い人間です。」
「出る杭。とうとう杭の役目をやめ、新しい資材になるために茨の道を進む。」
打たれない杭ほど辛いものはない。
「出る杭は打たれる」が嫌いなあなた、
ぜひ、この三つの言葉を送りたいと思います。
そして、勘違いしていた私にも、送りたいと思います。
「出る杭は打たれる」
打たれることに感謝できる人間になりたいものです。

今日も、ももたろうライダーNoby’s Diaryをお読みくださりありがとうございました。
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