#12 コミュニケーションはキャッチボール?
- ももたろうライダー [Noby]
- 2020年7月30日
- 読了時間: 3分
こんにちは。
桃太郎ライダーNobyがお届けするNoby's Diary。ご覧いただきありがとうございます。
梅雨、ようやく明けました。
九州北部と中四国に、梅雨明けの宣言が出されました。
これで、すっきりとした夏空、と思いきや、
夕方4時からのゲリラ豪雨、警報の発令。
夏終盤のように大気が不安定な状態に。
自然のダイナミックさを感じる一方、
穏やかな気候が待ち遠しくもあり。
【投げる言葉のボール、相手が取れるところに投げられている?】
【投げた言葉のボール、相手が受け止めてくれると思っている?】
上の二つの言葉。
「一つ目は父」、
「二つ目は人生の先輩」、
から、頂きました。
一つ目、
自分の発言した言葉は、相手が受け止められるものでありたい。例えば、
「言葉は丁寧であったか」
「気持ちは親切であったか」
「相手の事情を汲んでいたか」
「相手のわかる言葉であったか」
父は野球を50年以上取り組んできた人です。
コミュニケーション、いわゆる言葉のやりとり。
それを野球のキャッチボールに見立てた言葉です。
父は、
わたしと妻の結婚式、
そのお開きの前のスピーチとして、
この言葉を列席者とわたしたちにくれました。
いまでも、ことあるごとに思い出し、胸に刻んでいます。
二つ目、
自分の発した言葉が、相手にどのように受け取られるかを制御できない。
「意図通りに理解してくれないのは困りますか」
「意図と違う理解をされてしまうのが怖いですか」
「意図した言葉を理解していない相手は悪いですか」
「意図した通りに理解することを相手に強要しますか」
どの場合にも、
聞き手となる相手を、
意図する方向へ制御したがる。
恐怖、そして強要の行動へと繋がる。
意図した通りの言葉を紡ぎ出すことができれば、
聞き手となる相手も”必ず”、意図した通りにわかってくれる。
一つ目の金言を、
”必ず”という極端な形で理解していました。
いつしか、
「聞き手の相手は意図した通りに聞くものだ」
「聞き手に分かる言葉を探す努力をしたのだから、理解できないのは相手の問題だ」
なんとも傲慢な考え方、ですよね。
そうです、いま思えば、傲慢そのものでした、
一つ目の言葉を父から頂いた12年後の今年、
わたしはその傲慢さも相まって、仕事の立場を失うことなりました。
いわゆる、“左遷”、です。
わたしは120%のエネルギーで、
周囲の人の理解力のなさを責めました。
来る日も来る日も、同じように責めました。
そのさなか、二つ目の金言に触れることになりました。
投げた言葉がどう受け取られるか、制御することできない。
「丁寧に受け止めてくれるかも」
「過激に打ち返してくるかも」
「冷淡に無視してくるかも」
わたしの言葉は、
聞き手に心地よく受け止められる言葉、構成であろうか。
わたし自身は、
聞き手に心地よい存在として受け止められる人物であろうか。
わたし自身はさらに、
心地よく受け止められる存在として笑顔でいられているだろうか。
わたしの言葉のキャッチボール、
さらに高いところに新しい目標ができました。
あなたの言葉、
そしてあなた自身は、
聞き手が影響を受けたいと思えるもの、存在でしょうか。
聞き手が受け取れる言葉を選ぶ、
聞き手の受け取り方を制御はできない。
だからこそ、
聞き手に前向きに受け取ってもらえる、
その確率を上げるために、言葉をさらに磨いていきませんか?

今日も、桃太郎ライダーNoby’s Diaryをお読みくださりありがとうございました
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