#10 自信、どこから来る?
- ももたろうライダー [Noby]
- 2020年7月28日
- 読了時間: 3分
こんにちは。
桃太郎ライダーNobyがお届けするNoby's Diary。ご覧いただきありがとうございます。
このところ、梅雨空のお話しからスタートです。
鹿児島をはじめ九州南部でも梅雨明けの便りが届きました。
九州北部、四国、本州も次第に梅雨明け、
待ち遠しい夏の日差しが、ようやく訪れます。
梅雨は水の恵み、なくてはならない季節。
でも、長く続くよりは、早く夏が来てほしい人が、
多いのではないでしょうか。
【あのひと、なぜいつも自信を持っていられるのだろう?】
【あのひと、どうやって自信をつけているのだろう?】
「自信があるようにみえる、このひと」
「自信を持って取り組んでみえる、あのひと」
「自信がないと嘆いては羨んで見ている、わたし」
自信が、ほしい、
自信が、あれば、
自信、自信が、、自信さえ、、、
(“自信”のゲシュタルト崩壊しそうですね...
“自信”、
この言葉は、多くの人の人生に付いて回るものです。
なぜこれほどまでに、
“自信”、特に”自信がない”、という言葉を意識してしまうのか?
(もしも“自信”に無縁でしたらブラウザバックしてくださって大丈夫です)
どんなときに自信がないと感じるのか、
わたしなりに考えてみました。
1.上手、と言われる状態がどんなものかを知っている。
2.自分自身が上手、と言われる状態と比べて劣っていると知っている。
3.多くの人よりは上手にできているとしても、上手に完結できるかいつも不安である。
4.多くの人よりは上手にできているとしても、さらに上手な人から見たら、まだまだだ。
1.、及び2.の場合、
「自信がない」というよりも、「知識と経験がない」ではないでしょうか?
知識と経験を持つ先人に倣い、真似ぶ(学ぶ)ことにより、
知識と経験が備わってくるでしょう。
3.及び4.の場合、
「自信がない」というよりも、「努力と研鑽がない」ではないでしょうか?
自信がない=不安、
その不安は「結果に対する不安」です。
結果は約束されていない、
「約束されていない未来」に対する不安、
その不安を、「自信がない」と呼ぶことはありませんか?
結果が約束されていない未来、
その未来はある“確率”で決まります。
良い結果にも、悪い結果にもなります。
“確率”が100%であることはなり得ません。
未来の結果がどうなろうとも後悔がない。
わたしはそう思えるような準備をしてきた。
「努力と研鑽」
未来の出来事が良いものになる確率をあげる、
唯一の方法ではないでしょうか?
わたしにも、
自信がないことに挑戦した経験がありました。
「フルマラソン完走」
小さい頃から、長距離は大の苦手。
1500mも満足に走りきれないほど嫌いでした。
一昨年前、わたしは、
仕事で10時間以上のフライトで海外出張。
エコノミークラス症候群、静脈血栓症と肺塞栓を罹患。
命を落とすことはなかったが、発病後は左下肢は常時浮腫んだ状態。
二度と生まれたままの健康な体に、血管に戻ることはない。
絶望でした...
絶望だったからこそ、
このままで終わりたくない。
発病から半年後、走る努力を始めました。
初めは1kmも走れば、左下肢がパンパンに浮腫んだ。
自分の左脚を見るたびに、「もうやめたい」と悩んだ。嘆いた。
同時に、
「自信がない」という言葉が、心から消えていた。
「できることを続ける」
「できる努力をし続ける」
「できる研鑽を積み続ける」
そうした積み重ねと継続がわたしから、
走ることに「自信がない」という言葉を消し去っていました。
あなたにも、
「自信がない」ことはありませんか?
「自信がない」ことに、努力と研鑽を惜しまずに投じたことはありませんか?
一度くらい、思いっきりフルコミットで没頭してみませんか?
新しい世界が待っています。

今日も、桃太郎ライダーNoby’s Diaryをお読みくださりありがとうございました。
Comments